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brand-new junks |
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February 18th ,1999 - 2:42 |
Microsoft Windows98, Office98, Internet Explorer 4.0, 5.0, Apple MacOS 8.0, 8.5, QuickTime 3.0, Adobe Photoshop 5.0, Premiere 5.2, Netscape Communicator 4.5, VillageCenter WZ Editor 4.0 etc.etc...
あらゆるソフトがバージョンアップという名で進化を続け、我々のコンピューティング・ライフを快適なものにしている。
そんなのウソっぱちだ
最近、Photoshopのバージョンを 4.0に落とした。5.0では機能が複雑過ぎ、最初は便利だなと思っていた機能が、使うにつれ不便極まりないことが判明した。この例は Photoshopだけにあらず、上に書いてある多くのアプリケーションでも同様に当てはまる。Windowsは 95のままだし、Officeも 95、IEは 3.02だし、MacOSは 7.5を使っている。Navigator 4.0を使っているのはアイコンが好きだからだ。3.0から 4.0へバージョンアップした理由は、それ以外は全くない。
どうして多くの人がソフトウェアをバージョンアップするのだろうか? 機能が豊富になるから? 最新の物を使いたいから? 技術革新や流行に乗り遅れないために? なんで、みんな Windows98を使うの? Office98にアップグレードする理由は? Navigatorの 3.0と 4.0の違いって?
現在、人々がソフトウェアを取得するための最も大きな手段はプロダクトの購入によるものだ。ソフトウェアを利用する人間は企業にお金を払って、ライセンスを受け、初めてソフトウェアを利用することが可能となる。ソフトウェアを販売する企業は、ユーザーにお金を出させるために新しいプロダクトを開発し、バージョンアップし、サポートし、そしてその対価として料金を請求する。ごく一般的なモデルだ。
しかし、ちょっと考えてみよう。我々がソフトウェアを使って、コンピュータにやらせたいことが何なのか、ということを。
コンピュータは長い間、不便極まりない道具だった。コンピュータを利用する人々は呪文のような複雑なコマンドを記憶し、マシンが壊れないように細かいルールに従い、一般的ではない特殊な単語を用いて会話する能力を求められた。
PARCが Altoを生みだす前までは、
Jobsが Macintoshを送り出す前までは、
Gatesが Windowsを普及させる前までは、
一般人にとって、コンピュータは聖域だったのだ。
それは本当にここ最近の話なのだ。
現代の我々がコンピュータに求めているのは、手軽に文章を作成でき、絵を描き、音楽を奏で、手紙を書き、分からない知識を獲得し、多くの見知らぬ人とコミュニケートし、放送し、受信し、遊び、知的好奇心を満足させ、そして自分の生活を限りなく豊かに、便利にすることではないのか?
そして、実のところ、とっくに我々はそんな地点に到達してしまっているのだ。 少数の人々は気づいているが、多くの人は未だにバージョンアップの名の下に、無意味な機能のついた不要な製品のために無用な料金を支払っている。
ちょっと前までは、「バージョンアップ」は胸躍る大切なイベントの一つだった。ところが、最近のバージョンアップは苦痛以外の何者でもない。カネは掛かる、時間は掛かる、インストールしたら環境が破壊されるというとんでもないモノすら存在する。手に馴染んだインターフェースは各社の思惑により勝手に変更され、使い慣れた機能は使いにくい機能へと改悪される。やりたいことは昔と同じなのに、ハードをいくら速くしても、ソフトがどんどん遅くなるのは一体どういうことなのだ? メーカーによってはバージョンアップの名をかたり、バグフィックス版でユーザーからカネを巻き上げていたりもする。
コンピュータは単なる道具に過ぎないのだ。ソフトをバージョンアップする前に、自分がコンピュータでやりたいことを再認識しろ。コンピュータを使う前に、それがコンピュータを使わなくても、簡単に実現出来ないかどうか思考せよ。罫線と格闘する前に、印刷してから定規で線を引いた方がどれだけ仕事がスムースに進むか吟味せよ。ノリとハサミを使っていた時代と比較せよ。
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