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最近、

よく本を読みます。別に読書の秋とかいうのではなくて、テレビに嫌気 −というより一種の恐怖− を感じたのが、その大きな理由です。テレビがついていないときは寝ている時だけだ、という位、私は人一倍、テレビホリックだったので、これには自分でも驚きです。そして、それに気づかせたのは、Internetでネットサーフィンをやっているときのことです。



つい先ごろまでは、

メディアというのは受け手に能動性を求めるメディアでした。受け手が拒否すれば、そのメディアから発せられる情報は行く手を失います。
ラジオという過渡期を経て、テレビが出現するに至ったときから −マーシャル・マクルーハンにより、メディアが「メディア」だと定義づけられたときから− メディアは全く別の方法により、受け手に拒否するという主導権を手放させました。拒否される代わりに、そのメディアは情報を切り替えることを可能とし、情報を受け流すことを可能としました。嫌なものは無視できるメディア。自動的に進行し、受動的であることを求めるメディア、そしてそれを喜んで受け入れる受け手の存在。快楽メディアの登場です。



快楽メディアが

登場してからの人間の没落ぶりは目に余るものがあります。メディアは即時性と情報の垂れ流しを武器に、人間から行動力と思考力を奪います。日々流され続ける情報の洪水は人間に相対的価値基準を押し付けます。人類の存続に関わる有益な情報ですら、相対的価値基準の前では膨大な情報の中の一情報に過ぎません。
また一方で、メディアは絶対的価値基準を押し付けます。マスという巨大な箱の中では、価値基準は均一化され個体差は消滅します。
昨今、快楽メディアの主流はテレビから Internet−特に World Wide Webに移りつつあるようです。文字どおり、"World Wide"なメディアの登場は、"World Wide"な勢いで人間から個体差を奪い去ります。インフラストラクチャーが形成された後を想像することは、私にとって多大な勇気を必要とします。個体差のない種の未来は、これまでの進化の歴史を振り返ればここに記するまでもないからです。



サイバーパンクの

旗手、ウィリアム・ギブスンはその著作「ニューロマンサー」で、頭に直接プラグを挿し込み、己の意識をサイバースペースへ移動させる様子を描き、これを "jack in"(没入)と呼びました。米国では、web中毒というの一つの社会問題として浮上してきたそうですが、まさに彼らは "jack in"したまま戻れなくなってしまったわけです −自ら現実との接点であるプラグを引き抜いたのかもしれませんが。彼らを拒否した現実から、あるいは彼らが拒否した現実から遊離し、そして彼らの現実との唯一の接点でもあったテレビを離れ、更なる刺激を含んだ、恐るべき快楽メディアに jack inした彼らは、未来の我々の姿かも知れません...。






今日のマーフィーの法則

「J.S.ジレットの金言」

働く価値のある唯一の仕事は、
好きでする仕事である。





issue #30 / September 11, 1996




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