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たびたび、

映画のことで申し訳ないんですけど、、、なんせ趣味なんで。今回はちょっと趣をかえて、映画と原作の違いなんぞについてです。映画のために書き下ろされ、それがノベライゼーションされることもありますが、今回は原作ありきの映画についてです。
タマゴが先かニワトリが先かなんてのがありますが、どっちから先に見るのが得策なんでしょうかね。私は経験的にはやっぱり映画→原作のパターンが失敗が少ないですね。映画を先に観ると、登場人物とか背景とかで想像力を膨らます余地は少なくなりますけど、私の場合、海外モノだと人物名でわけわかめになることが多いので、顔がはっきりしてる分だけ助かります。
そんなわけで、今回は映画と原作の違い、どっちを先に見て、どう思ったかなどをちょろちょろと綴ってみたいと思います。



ってことで、

ご存知「ジュラシック・パーク」はマイケル・クライトン原作の恐竜モノ。映画はスティーブン・スピルバーグが監督してます。映画→原作の順に観ました。
映画自体は非常に迫力のある画で、観るものを引き付けます。CGで描かれた恐竜は、とてもCGには見えず、ホントにそこに存在しているかのようです。ティラノサウルス−T-REXの凄さは一見の価値あり。私は劇場で2回観ました。テレビサイズだと、ちと悲しいもんがあります、この映画。
さて、この映画を知る方は、この迫力は文章では出せないだろう、と思われるかも知れません。事実、自分もそう思っていたのですが、実は「ジュラシック・パーク」は原作を読む方がむちゃくちゃ面白いのです。
スピルバーグは基本的に平和主義者なんで、残酷な描写は極力さけます。ところが原作では残酷も残酷。読んでいるとT-REXやラプトル(調理場で子供たちを襲った中型の肉食恐竜)の怖さは映画の比ではありません。恐い、凄く恐い。その上、映画だと[視聴者=登場人物・・・恐竜の怖さを代弁する]という描写でしかない人物たちが、原作では雄弁も雄弁。映画では数学者のマルカム博士(ジェフ・ゴールドブルムが好演)が、おざなりな扱われ方をされてましたが、原作では主役級(続編では完全に主役)。ここぞとばかりにカオス理論をぶちまけます。恐竜の恐怖による興奮のほかに、映画では決定的に欠けていた知的興奮が味わえます。実際、この「ジュラシック・パーク」のテーマは恐竜そのものものではなく、恐竜を通して描く「人間の愚かさ」です。クライトンはモノを書く前にその分野に関して徹底的に調べ上げる作家なので説得力もあります。
文庫版も出てますので気軽に読めます。お薦め。



潜水艦ブーム

に火をつけた「レッド・オクトーバーを追え」はトム・クランシーという作家によって書かれました。映画は監督がポール・バーホーベン(ロボコップ、トータル・リコールの監督)で、主演はCIAアナリスト、ジャック・ライアンをアレック・ボールドウィン、ロシア潜水艦艦長にショーン・コネリー。さっきとは逆に原作→映画の順に観ました。
トム・クランシーは軍事スリラーと呼ばれるジャンルの第一人者とも呼べる作家で、映画化されたものだと、他に「パトリオット・ゲーム」(原作「愛国者のゲーム」)や、「いまそこにある危機」の一連の「ジャック・ライアン」シリーズがあります。一作めでライアンを演じていたアレック・ボールドウィンは、なんかパッとしなかったのか、二作め以降からはハリソン・フォードが演じています、かわいそうに。でもフォードの方が適役だというのは確かなんですが。負けるな、ボールドウィン(笑)。
この映画は自分に「映画を見る前に原作を読んではならない」ということを教えてくれた映画(苦笑)でして、原作の緻密さを、映画はことごとく損なってくれました。こういった原作は何が面白いかというと、一に二にも精密な描写であって、細々としていればしているほどリアリティという味が出ます。実際、彼の書いている作品群は米国軍でも使われているとかいう話があるくらいに兵器やら武器やらが登場し、その時の社会情勢が色濃く反映されます。映画は、映画本来の時間の枠組みもあってか、おいしいところを詰め込んで脚本化されますから、細かいところはおざなりになりがち。結果クランシーのような作家の作品は映画としては面白かもしれないけど、原作と比較すると見るに耐えない代物になってしまうという悲しい結果をもたらします。もっとも400ページかそれ以上が上下刊で発刊されてるわけですから脚本家も大変です。



お前が、

この原作を読んだのか?とも思われるかも知れないですけど "TSUGUMI"(つぐみ)。吉本ばなな原作で、映画は市川準監督、牧瀬里穂と中島ともこ、真田広之が主演してます。これも先の「レッドオクトーバー〜」と同じく原作→映画の順。私が当時、牧瀬里穂を好きだったのを差し引く必要があったとしても、原作を読んだ後でも映画が面白かった好例です。
原作そのものは非常に淡々としていて、すぐに読み終わっちゃうような内容なんですが、つぐみが有する二面性−静と動−のギャップが激しくて、なかなか面白いです。映画ではこのギャップを牧瀬里穂が映画初主演ながら、超わがままで悪態つくけど、むちゃくちゃ体の悪い少女をうまく演じていて、真田広之のフォローもあって、うまくまとまっています。



昨今の

異常犯罪ブームの仕掛人といえば、なんといってもトマス・ハリスでしょう。「羊たちの沈黙」の原作者で、執筆の遅い作家としても有名です。ここ30年くらいの間に3冊しか本を出していません。ただし、書くもの全てがベストセラーで、読者を引っ張って放しません。テロリストを描いた最初の作品「ブラック・サンデー」も映画化され、これを本当のテロリストが真似したという珍事も発生したとかしないとか。
先の「羊たちの沈黙」は彼の3冊めの本で、前作「レッド・ドラゴン」は、「羊たちの沈黙」の前編とも呼べる作品です。「ハンニバル・ザ・カニバル(人食いハンニバル)」ことハンニバル・レクター博士はこの作品から登場します。「羊沈」ファンは読むべし、この本もかなりきわどいけど。
ジョナサン・デミの監督によって、映画化されたこの作品は、ジュディ・フォスター、アンソニー・ホプキンスの主演でこれまた反響を呼びました。この作品を私は映画→原作の順で観ました。その映画の出来に感動して原作も読んだのですが、この原作の出来も感動ものでした。今でこそ市民権を獲得している「プロファイリング(犯罪現場や犯した行為から、その犯罪者の外見的、性格的、社会的特徴を割り出す)」という言葉も、この映画が公開されるまでは、ほとんど誰も知らない言葉でした。
この作品は原作と映画が拮抗していて、多分どっちを先に見ても、どちらとも楽しめる作品だと思われます。先の「レッドオクトーバー〜」と同じく、この作品も原作の方が個々の描写が長けているのですが、それ以上に映画の方が犯罪現場の生生しさが表現されていて、映画の持つ表現力の豊かさを示しています。そして何よりクラリスとレクター博士との間に漂うプラトニックなエロティシズムは、原作でも現せなかったこの映画の最大の魅力です。



なんか、

だらだらと書いてきましたけど最後に2つだけ。
その1:現在「ジュラシック・パーク」の続編、「ロスト・ワールド」を読んでいます。さて、今度のスピルバーグは私の想像力を超えることができるのでしょうか?(笑)
その2:すでにビデオ化されたシガニー・ウィーバー主演の映画「コピーキャット」を観る前に、ロバート・K・レスラーの「FBI異常犯罪捜査官」を読むことをお薦めします。冒頭で笑えます。






今日のマーフィーの法則

「ローレンスの自己発掘の法則」

浅く掘ろうが、深く掘ろうが、
元通りに穴を埋めると泥があまる。





issue #26 / August 16, 1996



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